英会話学校③
UCバークレー
いよいよUCバークレーでの英会話コースが始まりました。
生徒は勿論短期留学コースの大学生で、ひとクラス10人程度の構成だったと思います。
月曜日から金曜日までの午前中がレッスンで、それが2週続くコースでした。
先生は白人のきれいな方で、少しドキドキしたのは私だけではなかったと思います。
UCバークレーのキャンパスは私が通っていた早稲田のキャンパスに似たところがあって(勿論規模と質は比べ物になりませんが)、何かなじみやすい雰囲気でした。
そのキャンパスはとても自由な感じで、いろいろな皮膚の色をした学生がテキストをかかえて闊歩している様子がまぶしく見えました。
レッスンの内容は全く覚えていませんが、マクドナルドとジョージワシントンの発音練習を徹底的に行い、英語の発音が今まで自分が行っていたものと全く違うことに愕然としたことと、
ますますアメリカ英語にかぶれていったことは今でも覚えています。
本当のヤンキー
アパートの一室を5人でシェアして共同生活を送りながらレッスンに通っていたわけですが、私には先輩にあたる他の大学生との共同生活や、たまに外食をしたりディスコ(死語)に行ってローカルの学生と騒いだりしていたことの方が楽しくて、さして英語を勉強した記憶はありません。
2週間のレッスンが終わると、既に決められていたホームステイ先に旅立つのですが、私はワイオミングの鉱山の技師だったご主人と、学校の先生をされていた奥さま、そして私より若干若い高校生くらいの男の子が二人いる家庭がホームステイ先でした。
カーボーイものの古い映画で名前ぐらいは知っていたものの、私には全く見当のつかないとんでもない田舎町で、実際、その町の小さな空港に降り立った時の印象は「なんて田舎にきたのだろう!」でした。
そうそう、そこに来るときに乗った飛行機は確かデンバーから飛び立ったのですが、生憎の雪を交えた暴風雨で、小さなプロペラ機の機長がアナウンスで「こんな天気だけれど、離陸してもいいかい?」と乗客に冗談ぽく聞いているのに対し、既にビールで顔を赤くした乗客たちが「行け、行け!」とはやし立てているのを聞いて(実際は聞いたつもりで)、本当にこいつらはヤンキーだと思い、ひたすら飛行機が目的地に無事に着陸することを祈っていました。

結局は観光?
ワイオミングでの約10日間は非常に退屈なものでした。ホームステイ先の家族は良い人でしたが、昼間はそれぞれ職場や学校に出かけて、私はそこのお婆さんと留守番でした。
何回か鉱山や学校に連れて行ってもらいましたが、周りはほとんど白人で私はもの珍しい目で接されたことを覚えています。
それでも、ご主人は民主党支持者、奥さまは熱狂的な共和党支持者で、その時初めて共和党をGP(Grand Old Party)と呼ぶことを知ったり、ご主人が狩猟でとってきた鹿肉のステーキをごちそうになったりして、そこそこアメリカにも馴染んできましたが、やはり退屈ではやくLAに行っておなじみのメンバーと会いたいという気持ちで一杯でした。
LAで再開した後はご褒美(?)にハワイに立ち寄り、結局はこのミニ留学ツアーもJALパックと同じ観光ツアーと同じで、目的の英会話はどこへ行ったやらという結果に終わりました。
が、実はこのミニ留学が後々まで私のアメリカかぶれをさらに増長させるものとなりました。