英会話学校④
独りよがりの凱旋
さてアメリカの珍ミニ留学から日本の大学に戻り、普通の大学生活が始まったのですが、私のアメリカかぶれは頂点に達していました。
大学や高校時代の友達や先輩に会うたびに、いかにアメリカが素晴らしかったかを、軽薄にかつ、大阪風だといかにもいきっとる感じで吹聴しまくっていたのでした。
私の話を聞いてくれた友人先輩の大多数は、最初は興味深げに私の自慢話に付き合ってくれたものの、最後には辟易とした感じで「このアメリカかぶれ野郎!」と心の中で、あるいは露骨に嫌悪感を出していました。
馬耳東風
そんな周囲の友人先輩たちの冷たい視線も何するものぞと、私のアメリカ熱はさらに高まり、独学ではありましたが英会話の学習に熱が入りました。
今と比べて当時はアプリもCDもなく精々カセットテープによる会話練習でした。
そんな中、研究社の古典的英会話教材である「アメリカ口語教本」の初級・中級・上級を購入し、それこそ全文暗記するくらいの勢いで、大学の授業はそっちのけで取り組んでいました。
そのおかげで、夢の中で英語を話している自分を何度も見ましたし、それこそ簡単な会話ならさも得意げに話している自分がいました。
今から思うとそのレベルは相当低かったと思いますが、それでも周りの友人たちが「あいつは英語を喋れる」と話しているのを聞き、ほくそ笑みながら一人ご満悦の状態に浸っていたことを覚えています。
見栄のおかげ
こんな独りよがりで自己満足だけの英語学習でしたが、私の心の中に「将来は海外関連の職業につきたい」という意識が段々強くなってきました。
勿論、日夜精魂込めて英語に取り組んでいるESSの猛者たちに比べればそのレベルは格段に低く、かと言って英語だけは真面目に取り組んだものの、アルバイトとコンパにいそしんでいた私の成績は良いはずもなく、大手の総合商社や航空会社にも縁がありませんでした。

結局は某大手化粧品会社に入ることになりました。
当時、海外売上比率1~2%だったその化粧品会社は絶対海外に力を入れていくという感がドンピシャにあたり、結局は海外関連の業務に30年近く携わることができ、駐在もハワイ、ニューヨーク、シンガポール、シドニーと都合14年近くを英語圏の地域で過ごすことができました。
大学卒業前に、アメリカに留学していた先輩を頼って2回目の渡米を敢行しましたが、その時アメリカにかぶれている私に母親が「(こんな時期にアメリカに行く必要があるのかという意味で)見栄で行くんじゃないの?」と言ったことを覚えています。
確かにアメリカかぶれの私は友人たちの視線を跳ね返すために、見栄を張っていたのかもしれません。
でも、その見栄が私のそれからの人生の大半と、拙いながらも英語への取り組みを決めたのかも知れません。
見栄に感謝です!